白平宅・米半宅と頼家酒店への神像降臨
どんな伝承か
頼永祺の「丁卯日記」によれば、慶応三年十二月四日に大神宮が降臨し、八日には白平宅に観音札が降臨、十一日には米半宅に観音木像と神踏歌が降臨したと報じている。同年十二月十六日、平格あての書状には、大坂や尾道あたりで先日から諸神札降臨のことが大評判のところ、当地は当八日より降り始め、諸神札や木磁像など種々が大家中家残りなく降ったとある。頼家では十三日を初めとして酒店の前へ古仏の大黒神小像一体と偸伽山の御守札が降臨し、店の者が狂気して大騒動となり、両三日酒食に喰い倒れて失費が少なくなかったという。
原典より
此元(注、頼家)は十三日をはじめてとし、更に酒店前へ、古仏大黒神小像一体、ほか偷伽山御守札降臨、店の者狂気して大騒動、両三日酒食喰倒れ、羅等失費少なからず—— 尾道市史 -新修-第2巻(尾道市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
尾道市史 -新修-第2巻(尾道市史)
『尾道市史 -新修-第2巻』は、第二十一節「「お札降り」と「ええじゃないか」」だけを収めた抜粋である。慶応三年の冬、尾道で伊勢大神宮などの御札が降ったとして町中が踊り騒いだ一件を、尾道一宮社文書、芸藩の会計係の「尾道出張日記」、友松山荘の「伝家録」で示し、竹原下市の頼家の日記や書状、広島の例と比べる。後半は学界の諸説を紹介し、栗田年誌から米価の高騰や竹原の打ちこわし、栗原村の徒党の記録を引いて、世直しの動きとの関わりを論じる。