御降りと祀られた子どもの土めんこ
どんな伝承か
御降りの正体は、泥に汚れた不潔な土間の靴脱ぎ石の上に光っている、径三四分の金色のものだった。大神宮の御殿の釘の頭かいな、仏さんの御衣の留め玉とは違うかと言い合い、粗末にして罰が当たっては困るというので、一人が白紙をひろげて恐る恐る掬い取り、一人が三宝に受けて床の間に置いた。そして御洗米や御灯明が用意されつつあった。皆はしばらく畳に額をすりつけて拝んでいたが、それは子供の弄ぶ土のめんこであったという。
原典より
御降りの正體は、泥に汚れた不潔な土間の靴脫ぎ石の上に光つてゐる、径三四分の金色のものだつた。—— 阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・1931年(昭和6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・1931年(昭和6年))
『阿波えゝぢやないか』は、山口吉一が一九三一年に著した、幕末の「ええぢゃないか」騒動の記録である。慶応三年の暮れに阿波で起きたお札降りと踊りの騒ぎを、県内の古老五十余人からの聞き書きと郡村史誌などの記録によって、起因・神異・服装・歌謡・禁忌などの面からたどる。徳島日々新報への連載をまとめたもので、概観篇・詳述篇・挿話篇・補遺篇から成り、鳥居龍蔵の序、話者の古老の一覧、太田明の「御下り踊私考」を付す。