疫病の枕元に立つ七人の亡霊
どんな伝承か
藩政のころの夏、郡里村の中山路に疫病がはやり、七人墓の近くの家の病人の枕元に白衣の七人の亡霊が現れて、誰も祭ってくれず飢えている、墓を清めて供養すれば病を治そうと告げた。天正十年、長宗我部の軍勢がここまで攻め上ったとき、喉の渇いた兵が見つけた川は泥水だった。上流で七人の男が彼岸花の球根を洗っていたためで、凶作で里へ食を求めて来た対岸一宇村の百姓だったが、兵たちは怒って七人を斬り殺した。墓を清めて回向すると病人は皆治り、七社明神として今も祭っているという。
原典より
その姿が消えると一緒に、熱もいくらか下がったようだ。—— 阿波の怪談(横山春陽・郷土怪談・民俗・1958年(昭和33年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
阿波の怪談(横山春陽・郷土怪談・民俗・1958年(昭和33年))
『阿波の怪談』は、横山春陽が昭和三十三年に編み、徳島新聞出版部から発行した郷土の怪談集である。徳島県の各地と土佐との国境の山中に伝わる山女郎、淵や池の主、カッパ、亡霊、火の玉、タヌキやキツネ、大ジャの話を、平安朝の言い伝えから藩政期、明治・大正、昭和の出来事まで、編者が古老に聞き、書物から拾って題ごとに並べる。おわりにでカッパやヘビの話の多い地域や海の話の少なさについて記す。