疫病死を藪医者のせいとした触れ
どんな伝承か
寛延元年、守山領に時疫が流行し、わずらう者が多く死者も数人出た。藩は村々へ触れを出し、人が死ぬのはつまるところ藪医者に診せるからだと断じている。今後は病人があっても藪医者の薬などは飲まず、誰それの弟子ときちんと修業を積んだ医師の療治を受けるよう、村役人も取り計らえというのである。医者になるのに免許の要らなかった当時、本人に悪意はなくとも患者の側でさじを投げるほかない医師がいたことを、この触れは裏から伝えている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
疫病と狐憑き-近世庶民の医療事情(昼田源四郎・昭和中期(推定))
本書は江戸時代の陸奥奥州守山藩領における『御用留帳』を史料とした、近世農村の医療事情と心霊現象の研究である。狐憑きや物付きなどの精神疾患が、祈禱や指籠入れ(座敷牢)によって治療された実例を14件詳述する。天明・天保の飢饉や流行疫病(疱瘡、麻疹、コレラ等)への対応と並行して、乱心者の社会的処遇、責任能力の鑑別問題、欠落(逃亡)との区別が論じられている。