墓場脇の街道を踊る空俵
どんな伝承か
家から三丁ばかり向こうは墓場で、その傍を徳島への街道が走り、時々踊子が通った。窓から外を眺めていた子供が、口を大きく開けたまま指をさした。母親が縫物から顔を上げて往来を見ると、空俵が二つ三つ、ふらふらと揺れながら通っていて、踊っているようにも見えた。目をこすってよく見ると、空俵には足が生えて動き、やがて手も生えて動き出した。中には人間が入っていたのである。名東郡新居村の話。
原典より
家から三丁ばかり向うは墓場で、其の傍を徳島への街道がずつと走つて、時々踊子が通つた。—— 阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・1931年(昭和6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・1931年(昭和6年))
『阿波えゝぢやないか』は、山口吉一が一九三一年に著した、幕末の「ええぢゃないか」騒動の記録である。慶応三年の暮れに阿波で起きたお札降りと踊りの騒ぎを、県内の古老五十余人からの聞き書きと郡村史誌などの記録によって、起因・神異・服装・歌謡・禁忌などの面からたどる。徳島日々新報への連載をまとめたもので、概観篇・詳述篇・挿話篇・補遺篇から成り、鳥居龍蔵の序、話者の古老の一覧、太田明の「御下り踊私考」を付す。