大師の像は霊写と結んだ福来の結論
どんな伝承か
福来友吉は、嵯峨で写った弘法大師の像を三田光一自身の念による念写ではなく、大師の霊がみずから現れた霊写だと結論づけた。理由として、船形屋敷の透視がたまたま初大師の日に行われたこと、透視の内容が歴史の記録や旧地主田中作治郎の証言と合ったこと、透視の最中に見えた大師の姿がそのまま乾板に出たことを挙げる。さらに三田が汗もかかずに思わず「実験終り」と口にしたこと、注文された心経殿が写らず予言どおり七枚目に大師が出たことも根拠とした。福来はこれで霊魂不滅が実験で示されたと述べ、大師は偉人から信仰の対象になったと記している。
原典より
私が心経殿を念写する目的で閉目して精神を統一したかと思うと、忽然として一月二十一日に見た大師の御姿が現われました。—— 念写発見の真相(山本健造・念写・超心理研究・1980年(昭和55年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
念写発見の真相(山本健造・念写・超心理研究・1980年(昭和55年))
『念写発見の真相』は、飛騨に住む山本健造が著した福来友吉の伝記と学説紹介の書で、はしがきは昭和五十五年十一月三日付である。念写を発見した福来の幼少期から、東京帝大での透視・念写実験と追放、宣真女学校長・高野山大学教授の時代、仙台での晩年までをたどり、著者による高山市の福来博士記念館建設の経緯や六次元の原理を述べる。全十五章からなり、第二章に福来の論文「弘法大師の御霊影」を再刊のことばとともに収める。