十貫目に育った大きな赤児
どんな伝承か
天保年間の話である。出羽国村島郡長瀞村の名主権兵衛の屋敷の門を、明け方だというのに激しく叩く者がいた。百姓の武左衛門で、いま女房が赤児を産んだのでお届けに参りましたという。権兵衛が早朝からでなくともよいと言うと、武左衛門は、赤児があまりに大きな背丈なので驚いたのだと答えた。その年の九月、文五郎と名付けられた赤児の背丈は二尺八、九寸、手の太さは八、九寸、足の太さも九寸ばかり、胴の回りは二尺七、八寸、目方は十貫目になったという。あまりに大きいので食わせるに困り、間引きにしようとしてもそれもできぬと言った。この子は育って草相撲の横綱になり、稲荷山と名乗った。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
東北怪談の旅(山田野理夫・昭和49年(1974年)頃)
東北怪談の旅(山田野理夫)/飢饉の非業の死と怨念/巫女(イタコ)の口寄せ/座敷童子・河童の怪/東北各地の幽霊伝承