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陣営を守ろうとして焼け死んだ少年たち

所在地山口県岩国市(伊勢ヶ岡)
年代慶応二年十一月十八日(1866)
登場玉乃世履、二宮懋、熊谷大吉、石槌太郎、飯田保、長孫一郎、森脇三太郎、山田保太郎、長璋次郎、二宮修、河北住太郎、山県幸輔、品川佐吉、小野慶次郎、東勇太郎、齋藤寅之介、水落佐太郎、群児招魂碑の撰文者、群児招魂碑の書、群児を悼み和歌数首を詠んだ人、即死した童生(十四歳・錦見)、即死した童生(十四歳・大明小路)、即死した童生(十二歳・裏丁上)、即死した童生(十一歳・錦見)、即死した童生(十一歳・指金丁)、即死した童生(十歳・丈六寺後)、即死した童生(十歳・横山)、即死した童生(八歳・下ロ)、大傷を負い家で死んだ童生(十二歳・錦見)、大傷を負い家で死んだ童生(十二歳・草野谷)、大傷を負い家で死んだ童生(十二歳・善教寺小路)、大傷を負い家で死んだ童生(十一歳・森木丁)、大傷を負い家で死んだ童生(十二歳・塩屋丁)
出典岩邑怪談録

どんな伝承か

慶応二年十一月十八日、小瀬口の戦が止んで岩国がしばらく平穏であった頃、錦見の童生三十余人が伊勢ヶ岡に登って遊び戯れていたところ、昼八つ時前に火が起こり、傍らの枯草に燃え移った。満山は萱原の枯草で、この日は少し風が吹き、須臾の間に火は四方へ延び蔓った。絶頂にはその年の夏の小瀬戦争の陣営が数か所そのまま残っていたので、童生らは火が及ぶのを恐れ、燃え上がる火焔の上の段に登って並び、防ぎ消そうとして瞬く間に焔煙に包まれた。即死九人、帰宅後に死んだ者七人、いずれも十歳前後であった。陣営は無事であった。同年十二月、焼跡の谷口の池ヶ廻の路の上に群児招魂碑が建てられ、玉乃世履が撰文した。

原典より

慶応二丙寅年秋、小類口戦争既に止戦となり、岩国暫平穏なり。—— 岩邑怪談録(広瀬喜尚(増補:今田純一/続録・編:藤田葆/付録:静間密/昭和版編集:宮田伊津美)・1976年(昭和51年)) より引用
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※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません

出典の文献について

岩邑怪談録(広瀬喜尚(増補:今田純一/続録・編:藤田葆/付録:静間密/昭和版編集:宮田伊津美)・1976年(昭和51年))

『岩邑怪談録』は、岩国藩士広瀬喜尚の怪談録に後人の増補と続録を合わせ、岩国徴古館が昭和五十一年に発行した資料集である。岩国周辺で人々が出会った化物・大坊主・生首・怪火・狐狸・天狗倒し・幽霊などの話を収め、藤田葆が編んだ『岩国沿革志』のうちの二冊を底本に、なるべく原文のまま新字に改めて載せる。広瀬の本録に、今田純一の追加、藤田の続怪談録と実事談・変死、静間密の付録五話を続け、巻末に語注を付す。

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