命定めと恐れられた麻疹の年
どんな伝承か
文久二年、守山に麻疹が流行した。となりの二本松領でも同じ年に流行している。この年の麻疹は、二月ごろ西洋の船が長崎に伝えたものが京大阪へひろまり、江戸をへて東北にまで及んだ広範囲のものだった。江戸では夏の半ばから燃えあがり、七月半ばには身分の上下も男女の別もなくかからぬ者がいなくなった。とりわけ妊娠中や産後の女の死亡が多く、熱にうかされて水を求めて駆けだし河原へ身を投げ、井戸に入って死ぬ者もあったという。「疱瘡は器量定め、麻疹は命定め」と俗にいわれ、疱瘡より麻疹のほうが恐れられていた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
疫病と狐憑き-近世庶民の医療事情(昼田源四郎・昭和中期(推定))
本書は江戸時代の陸奥奥州守山藩領における『御用留帳』を史料とした、近世農村の医療事情と心霊現象の研究である。狐憑きや物付きなどの精神疾患が、祈禱や指籠入れ(座敷牢)によって治療された実例を14件詳述する。天明・天保の飢饉や流行疫病(疱瘡、麻疹、コレラ等)への対応と並行して、乱心者の社会的処遇、責任能力の鑑別問題、欠落(逃亡)との区別が論じられている。