忌宮神社に埋もれた塵輪の首と鬼石
どんな伝承か
著者は岡山での牛鬼取材から二か月ほどのち、山口県下関市を訪れた。城下町長府で仕事を終え、仲哀天皇と神功皇后が熊襲平定と三韓遠征の拠点とした豊浦宮の跡と知って、忌宮神社に足を向けた。境内に入ると、拝殿へ上がる石段の手前、石囲いの一角に「鬼石」と大書した説明板が立っていた。新羅の塵輪が熊襲を煽って豊浦宮に攻め寄せ、天皇がみずから弓矢を取って射倒したこと、皇軍が屍のまわりを踊り回ったのが奇祭「数方庭」の起こりであること、塵輪の顔が鬼のようだったのでその首を埋めて覆った石を鬼石と呼ぶことが、そこに記されていた。
原典より
下関市長府の忌宮神社境内に残る鬼石の地下には、新羅の首長・塵輪の首級が埋められているという。—— 妖怪伝説奇聞(東雅夫・2005年(平成17年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
妖怪伝説奇聞(東雅夫・2005年(平成17年))
『妖怪伝説奇聞』は、東雅夫が二〇〇五年に学習研究社から刊行した妖怪伝承地の探訪記である。稲生物怪録の木槌、クダン、牛鬼、塵輪、ナメラスジ、八幡の藪知らず、鬼の骨、蛇骨、鍋島の怪猫、児啼爺などを追い、中国・四国・九州ほか各地の寺社や旧家を訪ねて遺物と伝承を確かめる。月刊誌「ムー」の連載「日本伝説紀行」の十二章を三つのカラーグラビアで区切り、巻末に草双紙『鍋島猫騒動』の復刻を添える。