毛賀村から虎岩村へ続いた札降り
どんな伝承か
飯田の周辺では、大瀬木村に続いて札降りが村から村へと広がっていった。十月一日には毛賀村に、十一月一日には虎岩村に札が降り、下黒田村・上黒田村・飯沼村でもお祭り騒ぎとなった。このほか、田村や河野村にもお札降りがあったという。九月下旬に大瀬木村で始まった下伊那の騒ぎは、こうしてひと月あまりのあいだ、周辺の村々へ次々と続いていった。
原典より
十月一日には毛賀村(飯田市)、十一月一日に虎岩村(同)、また下黒田村・上黒田村・飯沼村(上郷町)でも祭り騒ぎとなり、ほかに田村・河野村(豊丘村)にもお札降りがあった。—— 松本市史 第2巻 歴史編2(松本市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
松本市史 第2巻 歴史編2(松本市史)
『松本市史 第2巻 歴史編2』は、信濃の松本市の市史のうち歴史を扱う巻で、ここにはその節「三 お札降り」だけが収められている。慶応三年七月ころから翌年にかけて、天から神仏の札が降ったとして酒食して騒いだ「お札降り」「ええじゃないか」が、伊那谷と中山道の二筋を通って信濃に広まったさまを、飯田・高遠・諏訪・木曽などの記録から追う。後半は松本城下と周辺村の降札と松本藩の禁令を述べ、上今井村に降った札の種類と枚数を表に示す。