降札を西洋流の業とした松本藩の禁令
どんな伝承か
十一月に入るとすぐ、松本藩はお札降りとそれに伴う祭り騒ぎを禁じた。一日に出されたとみられる触れは、近ごろ方々で神仏の札が降るというが少しも不思議なことではなく、西洋流の業によるもので、持っていれば子どもまで吹き上げられるというから、安い札が降ったくらいで祝って散財してはならないと戒めていた。降札を西洋の仕業とする言い方は松本地方にしか見られない。続いて出された触れは三日・四日・五日と村々の御用留書帳に書き留められたが、そこには西洋の話は消え、祝うことを禁じ、降ったときは日付と場所を書面で届け出るよう命じていた。
原典より
降札を「西洋流の業」とする点は、松本地方だけにみられる文面であるが、禁令はひきつづいてだされ、村々の「御用留書帳」などには三日、四日、五日にしるされている。—— 松本市史 第2巻 歴史編2(松本市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
松本市史 第2巻 歴史編2(松本市史)
『松本市史 第2巻 歴史編2』は、信濃の松本市の市史のうち歴史を扱う巻で、ここにはその節「三 お札降り」だけが収められている。慶応三年七月ころから翌年にかけて、天から神仏の札が降ったとして酒食して騒いだ「お札降り」「ええじゃないか」が、伊那谷と中山道の二筋を通って信濃に広まったさまを、飯田・高遠・諏訪・木曽などの記録から追う。後半は松本城下と周辺村の降札と松本藩の禁令を述べ、上今井村に降った札の種類と枚数を表に示す。