十歳で侍に詫び状を書かせた大坂の侠客
どんな伝承か
大坂には昔から男伊達と呼ばれる侠客がはやっていたが、近ごろ朝比奈某という者がいた。仲間を集めて振る舞うとき、十歳のころ武家に書かせた詫び証文を掛物にしていたという。十歳の朝比奈が仲間と堤で涼んでいると、いかにもたくましい侍が通りかかり、皆があれには勝てまいと言った。朝比奈は自分があの侍に謝らせてみせると言って何度も組み付き、投げられ踏まれても離れず、殺すなら殺せと迫った。持て余した侍が子どもを殺すのも大人げないと怒りを解くと、それなら書付をくれとせがみ、ついに書付を得た。これを掛物にして生涯侠客の頭として通したという。
原典より
大阪は俗に云ふ昔より男立といふ者流行てけるに、近き頃の事也、朝比奈の何某といふ者あり。—— 耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年))
『耳嚢(みみぶくろ)』は、根岸鎮衛(守信)が勤めの合間に古老や訪ねて来た人から聞いた話を書き留め、佐渡在勤のころからまとめ直して文化六年仲秋に結びを付した随筆である。武家・町人の逸話や奇談に加え、狐・狸・幽霊・妖獣などの怪異、羽蟻や虫歯・ものもらいを治めるまじない、薬の秘法を、一項ずつ題を掲げて記す。この本文は著者の自叙と巻之一から巻之十まで(巻之四を欠く)の抜粋で、巻末に著者の結びと『耳嚢副言』の一部を置く。