真崎稲荷のお出狐が残した扇の歌
どんな伝承か
江戸の真崎に稲荷の社があり、宝暦のころから参詣人でにぎわった。天明のころ、ここにお出狐と呼ばれる狐がいて、境内の穴に住み、茶店の女に頼んで食べ物を供えてお出と呼ぶと、穴から出てきて食べたという。のちにどこかへ去った。仙台家の家士斎藤所平が茶店で尋ねると、女は、ある年無筆の十二の娘に狐が憑き、官位のことでよそへ移るので世話の礼に暇乞いをすると言って、扇に歌を一首書き残したと語り、その扇を見せた。所平は金を与えて扇を譲り受け、表装して仲間に見せたという。
原典より
これは彼境内の一穴中に住て、信心の輩彼辺の茶店の婦女によりて菓子或は食物を穴の辺に供して、「お出」と呼ば、穴中より狐出て彼食物を食しけるを、…—— 耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年))
『耳嚢(みみぶくろ)』は、根岸鎮衛(守信)が勤めの合間に古老や訪ねて来た人から聞いた話を書き留め、佐渡在勤のころからまとめ直して文化六年仲秋に結びを付した随筆である。武家・町人の逸話や奇談に加え、狐・狸・幽霊・妖獣などの怪異、羽蟻や虫歯・ものもらいを治めるまじない、薬の秘法を、一項ずつ題を掲げて記す。この本文は著者の自叙と巻之一から巻之十まで(巻之四を欠く)の抜粋で、巻末に著者の結びと『耳嚢副言』の一部を置く。