仁慈輒くなせし事
どんな伝承か
著者が上野の御霊屋に参ったついでに、東叡山の執事仏頂院に立ち寄って聞いた話。天明の卯の年、諸国が不作で米が百文に四、五合という高値となり、人々は苦しんだ。仏頂院でも施しを心がけたが、限りのある身ではどうにもならなかった。すると随身の小僧が、毎日仏前に供える米や鳥にまくために庭に置く米を集めておき、飢えた人に与えてはどうかと申し出た。そのとおりにさせると、翌辰の年の春にはかなりの干飯がたまった。辰の四月、門主の供で日光へ向かう道中、飢えた者たちにこれを配ると、神領などからは厚く礼に来る者もあった。仏頂院はこの小僧の心がけを頼もしいとほめたという。
原典より
日々仏前へ備へ、或は法施の米食杯、常は庭上に其所を極め鳥などに与へけるを、取集め置て飢にしづむ者へ給はるやう可致—— 耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年))
『耳嚢(みみぶくろ)』は、根岸鎮衛(守信)が勤めの合間に古老や訪ねて来た人から聞いた話を書き留め、佐渡在勤のころからまとめ直して文化六年仲秋に結びを付した随筆である。武家・町人の逸話や奇談に加え、狐・狸・幽霊・妖獣などの怪異、羽蟻や虫歯・ものもらいを治めるまじない、薬の秘法を、一項ずつ題を掲げて記す。この本文は著者の自叙と巻之一から巻之十まで(巻之四を欠く)の抜粋で、巻末に著者の結びと『耳嚢副言』の一部を置く。