夢兆なし共難申事
どんな伝承か
本所石原に住む設楽某という者の召し使いの女が懐妊し、三つ子を産んだ。その名を文蔵・孝蔵・忠蔵と付け、いずれも今は二十歳ほどになっているという。設楽の縁者である石黒某が語ったところでは、物事には自然と感じる前兆というものがあるものらしい。設楽がまだ小十人組を勤め、江戸城で泊番をしていた頃、夢の中で「三子を設けたゆえ名を何と付けるべきか。文・孝・忠・信というが、信は残る三字に渡る義である。文蔵・孝蔵・忠蔵と付けるがよい」と思って目が覚めた。おかしな夢を見たと思っていたが、果たして三つ子が生まれ、その通りに名を付けたのだという。
原典より
おかしき夢を見しと思ひしが、果して三子をまふけて其通り名を付しとや。—— 耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年))
『耳嚢(みみぶくろ)』は、根岸鎮衛(守信)が勤めの合間に古老や訪ねて来た人から聞いた話を書き留め、佐渡在勤のころからまとめ直して文化六年仲秋に結びを付した随筆である。武家・町人の逸話や奇談に加え、狐・狸・幽霊・妖獣などの怪異、羽蟻や虫歯・ものもらいを治めるまじない、薬の秘法を、一項ずつ題を掲げて記す。この本文は著者の自叙と巻之一から巻之十まで(巻之四を欠く)の抜粋で、巻末に著者の結びと『耳嚢副言』の一部を置く。