小児行衛を暫失ふ事
どんな伝承か
寛政六、七年ごろ、番町に屋敷を構える千石取りほどの家で起きたこと。八歳の娘が、隣家の門口で物乞いの男女が三味線を弾いて唄うのを聞きつけ、どうしても見たいとせがんだ。母に叱られ、乳母に止められても聞かず、納戸へ駆け込んだので乳母がすぐに追って入ったが、娘の姿はもうなかった。家中が雪隠や物置まで探し、麹町あたりまで尋ねても見つからず、母は嘆いて祈祷を頼んだ。三日目、納戸で泣き声がし、次に庭で泣く声がしたので駆けつけると娘がいた。髪は蜘蛛の糸だらけで、手足には茨や萱をかき分けて歩いたような傷が多くあった。本人は何も覚えていなかったという。
原典より
又庭にて泣声せし故欠出見れば右娘なる故、早々取押へ粥・薬など与へけるに、髪には蜘の糸だらけにて、手足などはいばら・萱のを分け歩行し如くに疵ども多くありし故…—— 耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年))
『耳嚢(みみぶくろ)』は、根岸鎮衛(守信)が勤めの合間に古老や訪ねて来た人から聞いた話を書き留め、佐渡在勤のころからまとめ直して文化六年仲秋に結びを付した随筆である。武家・町人の逸話や奇談に加え、狐・狸・幽霊・妖獣などの怪異、羽蟻や虫歯・ものもらいを治めるまじない、薬の秘法を、一項ずつ題を掲げて記す。この本文は著者の自叙と巻之一から巻之十まで(巻之四を欠く)の抜粋で、巻末に著者の結びと『耳嚢副言』の一部を置く。