賊心の子を知る親の事
どんな伝承か
京都の三条通あたりの商人に五、六歳の一人息子がいた。瓜売りとの値が折り合わずに帰したあと、子が縁の下から瓜を二つ出して、売り手が落としていったと言う。問い詰めると、値決めの間に蹴り込んでおいたと白状した。親は末は親を泣かせる子だと考え、稲荷祭の人混みにまぎれて伏見街道で子を置き去りにし、妻には見失ったと告げた。数年後に伏見街道の茶屋で尋ねると、子は向かいの煙草屋に拾われ評判の若者に育っていた。名乗り出ようか迷って思いとどまり、さらに数年後に訪ねると煙草屋は消えており、拾い子が大きな盗みを働いて養い親まで巻き込んだと聞かされた。見限ってよかったと親は言ったという。
原典より
其親つくぐと考へて、右の小児を責め尋しに、「直段極め合の内に瓜ふたつ椽下へ立廻る振して蹴込たる」よしを申ける故…—— 耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年))
『耳嚢(みみぶくろ)』は、根岸鎮衛(守信)が勤めの合間に古老や訪ねて来た人から聞いた話を書き留め、佐渡在勤のころからまとめ直して文化六年仲秋に結びを付した随筆である。武家・町人の逸話や奇談に加え、狐・狸・幽霊・妖獣などの怪異、羽蟻や虫歯・ものもらいを治めるまじない、薬の秘法を、一項ずつ題を掲げて記す。この本文は著者の自叙と巻之一から巻之十まで(巻之四を欠く)の抜粋で、巻末に著者の結びと『耳嚢副言』の一部を置く。