上野山下で財布を掏られた土佐の若者
どんな伝承か
生糸輸出の山下商会を興した山下亀造が亡くなると、子孫に遺した遺言状に商会の起こりが記されていた。土佐の山奥の貧しい百姓だった亀造は、わずかな田を売って旅費をこしらえ上京し、芝口の宿に荷を解いた。桜の咲く日曜日、仕事を探して上野の山下に出た二十三歳の亀造は、三枚橋を渡った先の小料理屋の前で、職人風の男に背後からよろけかかられた。気がつくと、帯に結んだ財布の紐が襟元から切り取られていた。中身は残り一円足らずの全財産である。途方に暮れて歩くうち、路地から出てきた同じ男を見つけて殴りつけると、男は空き地へ案内し、金貨や紙幣の詰まった赤い革財布を差し出して口止めを頼んだ。
原典より
紐は帯に巻いた處だけあって襟元から綺麗に切り取ってあつた。—— 奇談全集 現代篇(田中貢太郎・奇談全集) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
奇談全集 現代篇(田中貢太郎・奇談全集)
『奇談全集 現代篇』は、田中貢太郎が幕末から大正にかけての事件や奇談を読み物に仕立てた作品集である。明治十一年に相模の真土村で起きた松木騒動、大正十五年に千葉の久賀村一帯で起きた鬼熊の事件、香取郡の連続殺人、伊賀上野の破獄、京都の天誅などを、記録や関係者の話をもとに描き、松木騒動には筆者が大正六年に現地を訪ねた補遺を付す。播磨屋橋遺聞のように、筆者自身が創作と断る話も含む。