立待岬の心中と腹から出た蛸
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どんな伝承か
明治二十二、三年ごろ、函館の立待岬から男女二人が身を投げた。男は海産問屋の若主人・山下忠助、女はもと花柳界で知られた常磐津の師匠・水野米である。男の死体は翌日あがったが、女の死体はあがらなかった。米は死なずに泳いで逃げ、五稜郭に近い網元の妾になっていた。三年ほどして妊娠したかに見えたが、それは病名の分からぬ奇病で、腹はふくれるばかりで米は死んだ。火葬にすると胴体だけがどうしても焼けず、隠坊が手鍵を打ち込むと腹が裂けて大きな蛸が現れ、米の情夫であった達磨の新公に真っ黒い墨を吐きかけた。蛸は撲殺され、新公は数日後に悶死したという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本怪談実話(田中貢太郎・河出文庫版・決定版・昭和13年編纂(1938年))
日本怪談実話(田中貢太郎)/幽霊と怪光の実話/怨霊と祟り・因果/死の前兆と怪音/各地の怪異実話
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