座席を濡らして消えた娘
どんな伝承か
濠端の柳に細い雨がけぶる晩だった。四谷見附から牛込見附の方へ車を流していた運転手は、電柱のそばに人影を見つけた。十七、八の娘が傘も差さずにしょんぼり立っている。声をかけると娘は白い歯を見せて寄ってきて、東京駅へ、と震えるような消え入る声で言った。何となく厭な心持ちがしたが、言われるまま東京駅の乗車口へ着け、お待ちどおさま、と後ろを振り返ると、娘の姿はなかった。運転手は震え上がって車庫へ帰り、車内を検めた。娘が腰かけていたあたりの座席が、水をかけたようにびしょ濡れになっていた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本怪談実話(田中貢太郎・河出文庫・1938年(昭和13年))
『日本怪談実話』は、田中貢太郎が昭和十三年に著した実話怪談集を河出文庫に収めたものである。明治以降に著者が聞き集めた怪異を報告調の短文で綴り、戦地の霊験や戦死者の知らせ、狐狸・天狗・海坊主、トンネルや自動車に現れる女、幽霊写真、狐狗狸などを扱う。元本は改造社刊の『新怪談集(実話篇)』で、冕言に始まって二百を超える小話を並べ、巻末に川奈まり子の解説を付す。