麻賀多神社で天明に降りた日月神示
どんな伝承か
昭和十九年六月十日、四十六歳になっていた岡本天明は、東京から初めて参拝に訪れた千葉県成田市台方の麻賀多神社境内で、突如何者かに憑依された。抵抗すると右腕に激痛が走り、耳元でささやく命令のままに、持ち歩いていた矢立てと紙を取り出して文章を書かされたという。書き終えた文の末尾には「ひつくのかみ」と署名されていた。これが「日月神示」の始まりであり、この自動書記はその後十余年にわたって続き、最終的に三十七巻にも及んだ。
原典より
何者かが憑依したのを感知して、極力抵抗すると、その何者かが岡本さんの右腕に激痛を与えるので、耳もとで聞く囁きに似た命令のまにまに、習慣としていつも持ち歩く絵画用の矢立てと用紙を取り出さざるを得なかった。—— 日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年))
『日本神異見聞伝』は、笠井鎮夫が昭和四十九年に著した霊異の見聞記である。第一篇では、大正期に大本で鎮魂帰神を受けた著者が、霊媒による死者の招霊や狐霊・竜神の託宣、霊石の発掘などを研究会での語りの口調で伝える。第二篇では、慶応三年のええじゃないかのころ尾張・遠江・駿河・美濃・丹後などで起きたお札降りを、旧家の古文書や郷土史家の便り、著者の現地調査から記録している。