服部家に水天宮お札天降り
どんな伝承か
服部述斉の日記によれば、慶応三年十月二日の夕方、当主弥兵衛が帰宅したところ水天宮の札が天降っていた。村じゅうの者が寄り集まり、暁まで篝を焚いて粥を出した。翌三日には暁方から村の者が大太鼓を張り替えに出かけ、津島の大野屋に社を注文し、修験者の日光院へ湯の花の神事を申し送った。四日には日光院が来て門に釜を二つ据え湯の花を上げ、村の者は参宮した。五日以降も近郷から笹屋形の獅子や大鏡餅、馬の塔が続々と奉納され、八日には門前に桟敷を掛け、村の者七十人ばかりが赤襦袢で社を車で曳いて神移しを行い、参詣人が群参したと記す。
原典より
拙宅には慶応三年十月二日天降りになり、早速社頭を新調して、修験者を招いて神納めを行い、神前で「湯の花」の神事を行ないました。—— 日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年))
『日本神異見聞伝』は、笠井鎮夫が昭和四十九年に著した霊異の見聞記である。第一篇では、大正期に大本で鎮魂帰神を受けた著者が、霊媒による死者の招霊や狐霊・竜神の託宣、霊石の発掘などを研究会での語りの口調で伝える。第二篇では、慶応三年のええじゃないかのころ尾張・遠江・駿河・美濃・丹後などで起きたお札降りを、旧家の古文書や郷土史家の便り、著者の現地調査から記録している。