服部家の近所に続いた神仏の天降り
どんな伝承か
慶応三年十月、弥富町荷ノ上の服部家に水天宮が降った数日後には、近所の家々にも次々と神仏が降った。服部家の記録によれば、五日には初右衛門の家に池鯉鮒大明神が降り、服部家から祠や献灯台を贈っている。同じ日に大島と又八という土地の家にも毘沙門天が降り、村の子どもたちが踊りながら供え物を届けた。六日には木下利左衛門の家に六角堂の観音が降り、ここにも子どもの踊りとともに供え物が持参された。この地方にはめでたい時に手踊りの道行きで物を贈る習わしがあったという。
原典より
初右衛門、地鯉鮒大明神御降り 手前(当家)より御祠、献灯台、張遣す—— 日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年))
『日本神異見聞伝』は、笠井鎮夫が昭和四十九年に著した霊異の見聞記である。第一篇では、大正期に大本で鎮魂帰神を受けた著者が、霊媒による死者の招霊や狐霊・竜神の託宣、霊石の発掘などを研究会での語りの口調で伝える。第二篇では、慶応三年のええじゃないかのころ尾張・遠江・駿河・美濃・丹後などで起きたお札降りを、旧家の古文書や郷土史家の便り、著者の現地調査から記録している。