十七歳の吉夫が仰いだ生神金光大神
どんな伝承か
明治七年の前半、笠井吉夫は信仰の先輩片岡次郎四郎に連れられ、備中大谷の大本社に金光教祖川手文治郎を初めて訪ねた。時に教祖六十一歳、片岡三十四歳、吉夫十七歳。三人が対座したのは、二十年前に古川治郎が神憑りしたあの六畳の間であった。教祖は麻の白衣に木綿の黒紋付を羽織った着流しで、家業を廃して十六年ほとんど戸外に出ないというのに顔の色つやがよく、眉が長かった。教祖は方位や日柄や祟りという金神の迷信を根も葉もないものと説き、氏子あっての神、神あっての氏子と語ったという。
原典より
教祖は質素な麻の白衣に木綿の黒紋付を羽織り、袴なしの着流しだった。—— 近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・1966年(昭和41年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・1966年(昭和41年))
『近代日本霊異実録』は、笠井鎮夫が著して昭和四十一年に昭森社から初版を出した、幕末から近代の神憑りと霊異の記録で、ここに収めるのは昭和四十八年に山雅房から出た複刻版である。金光教・黒住教・天理教・大本の教祖の神憑り、井上正鉄の求道、宮地常磐・堅磐父子や河野至道の神仙譚、天狗の弟子寅吉の話、長南年恵の奇跡などを、手記・写本・旧著を引いて語る。全十二録からなり、第一録には金光教に入信した著者の父の手記を収め、巻末にあとがきと著者略歴を置く。