神仙を調べ始めた宮地厳夫の動機
どんな伝承か
明治四十三年、宮中掌典を務めた宮地厳夫は東京の華族会館で「神仙の存在に就いて」と題する講演を行い、なぜ仙人の伝記を調べ始めたのかを語った。維新以来、形而下の学問ばかりが栄えて精神の側は捨て置かれ、このままでは国が無神論へ傾く。神社を土台に据えた国の形が崩れると危ぶんだ宮地は、神を正面から説いても耳は貸されまいと考え、仙人や天狗の実在から証を立てようとした。もともと般若や止観、老荘や抱朴子の類を好み、坐禅も道家の修練も試したが、いずれも我が国の鎮魂法と旨は同じだと見る。明治の初めから三十四、五年かけて書に印をつけ、仙人らしき日本人を二百数十人も集めたという。
原典より
『これより神仙のことに就いてお話しますが、私が仙人の記伝を取調べるようになったのには聊か理由がありますから、先ず其の理由よりお話することに致しましょう。—— 近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・1966年(昭和41年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・1966年(昭和41年))
『近代日本霊異実録』は、笠井鎮夫が著して昭和四十一年に昭森社から初版を出した、幕末から近代の神憑りと霊異の記録で、ここに収めるのは昭和四十八年に山雅房から出た複刻版である。金光教・黒住教・天理教・大本の教祖の神憑り、井上正鉄の求道、宮地常磐・堅磐父子や河野至道の神仙譚、天狗の弟子寅吉の話、長南年恵の奇跡などを、手記・写本・旧著を引いて語る。全十二録からなり、第一録には金光教に入信した著者の父の手記を収め、巻末にあとがきと著者略歴を置く。