女傑「おシマおっかあ」
どんな伝承か
矢田鶴吉の妻はシマといい、二人のあいだには八人の子がいた。この一家だけは天幕ではなく、広さ四十坪の馬捨て場のすぐ隣に建てた小屋で暮らし、箕を作って生計を立てていた。子供たちは昭和の初めごろ手賀尋常小学校へ通ったが、第三子のアヤノは陰で、ときに面と向かって「ミーヤの子」「乞食の子」とそしられ、よくいじめられた。だがそれは長く続かなかった。子供が差別されたと知ると、シマが学校へどなり込んできたからである。いじめた生徒がわかると駆け寄って頭をぶち、「こいつ、おれらのこと馬鹿にすんな」と、教師がいても平気でどなりつけた。
原典より
女親分の夫のこと第5章 「ホイト岩」の話非定住民の集合場は珍しくなかった佐貫の観音岩洞窟最後の穴居集団だったか「乞食岩」という地名もある木賃宿は田舎にも多かった—— 村の奇譚 ― 里の遺風(筒井功・民俗・地誌・現代) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
村の奇譚 ― 里の遺風(筒井功・民俗・地誌・現代)