村の娘の鎌を投げ捨てたおシマおっかあ
どんな伝承か
矢田鶴吉の妻はシマといい、二人のあいだには八人の子がいた。この一家だけは天幕ではなく、広さ四十坪の馬捨て場のすぐ隣に建てた小屋で暮らし、箕を作って生計を立てていた。子供たちは昭和の初めごろ手賀尋常小学校へ通ったが、第三子のアヤノは陰で、ときに面と向かって「ミーヤの子」「乞食の子」とそしられ、よくいじめられた。だがそれは長く続かなかった。子供が差別されたと知ると、シマが学校へどなり込んできたからである。いじめた生徒がわかると駆け寄って頭をぶち、「こいつ、おれらのこと馬鹿にすんな」と、教師がいても平気でどなりつけた。
原典より
女親分の夫のこと第5章 「ホイト岩」の話非定住民の集合場は珍しくなかった佐貫の観音岩洞窟最後の穴居集団だったか「乞食岩」という地名もある木賃宿は田舎にも多かった—— 村の奇譚 ― 里の遺風(筒井功・民俗・地誌・2018年(平成30年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
村の奇譚 ― 里の遺風(筒井功・民俗・地誌・2018年(平成30年))
『村の奇譚 ― 里の遺風』は、民俗研究者の筒井功が平成三十年に著した民俗探訪記である。修験の里の石室、石風呂と焼き石湯、山中の贋金づくり、箕作りの集団や天幕部落、岩窟に暮らした非定住民、猿と猟師、氷室と風穴、産屋、墓制、安倍晴明の墓、狐憑きと犬神など、各地の村に残る習俗と伝承を、聞き取りと文献の両面からたどる。全十三章で、昭和三十年前後の高知市での見聞から説き起こし、「おわりに」では別の出版社で刊行が見送られた経緯を記す。