金光教に頼って癌を放置した守田勘弥
どんな伝承か
歌舞伎の花形と謳われた守田勘弥は、昭和七年に胃癌を発して一年ほど腹の激痛に苦しんだ。名医が癌の疑いを告げ静養を勧めても、金光教を篤く信じる妻きみ子は医学を退け、神の奇跡ばかりを待った。真冬に重態と分かり絶対安静を命じられたが、妻は先に興行主へ出演できると言い切っていたため休演もできない。教会から無理をせず休めという電報が届いても、妻は誰にも見せなかった。十一月には新橋と明治座を掛け持ちし、舞台の声はもはや喉に詰まっていた。医師の忠告を伝えられても妻は取り合わず、逆に不治と告げられたと本人に漏らして通院をやめさせたという。
原典より
* 娘を自殺させた狂信者* 教団に渦巻く愛慾相(生×の家)* 伝染病とひ×のみち六、物質的損害を与へられたもの* 狂へる祈祷(天×教)* 持物を倍にしてくれる穴守様の正体* 天理教被害報告書* 祭壇の前に危かつた貞操*…—— 邪教に迷はされた人々(好村春基・浅野研真ほか編・新興宗教・邪教批判・昭和(戦前)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
邪教に迷はされた人々(好村春基・浅野研真ほか編・新興宗教・邪教批判・昭和(戦前))