鑿が手に刺さっても続けた団十郎
どんな伝承か
明治三十年ごろ、九代目市川団十郎が歌舞伎座で曾我の夜討ちの舞台を勤めていると、天井の簀の子から大道具方の鑿が思いがけず落ち、団十郎の手の甲に突き立った。見物が息をのむ中、団十郎は少しも間をあけず、仮の住まいとはいえ粗忽千万とせりふを差し挟み、血止めの手拭いを巻いてもらいながら何事もないように芝居を続けたという。佐々友房がいつも自慢げに語った芸談で、団十郎こそ随一の大役者だと相好を崩していたという。
原典より
そのときにあいにく天井のスノコから道具師のノミがどうした間違いかおちてきた。—— 私の心霊術(長田幹彦・1955年(昭和30年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
私の心霊術(長田幹彦・1955年(昭和30年))
『私の心霊術』は、長田幹彦が昭和三十年に著した心霊研究の随筆集である。死後に残る霊や地獄・極楽をめぐる考えを述べ、熊本の家系や安達謙蔵との交わり、東京放送局の文芸顧問だったころの回想、霊友会など戦後の新興宗教への批判、前著『霊界』への反響と自らの信仰を語る。「心霊科学の来世観」「霊界の構造」「ぼくの信仰」などの章からなり、末章「ある霊媒の生態」では霊媒服部との実験とそのトリックの顛末を描く。