共同栓の水で助かった芸者
どんな伝承か
昭和二十年三月の大空襲は、あれほど一生懸命に防空演習をやっていながらその始末であったと著者は書く。浅草の蔵前から言問橋までの間の凄まじさは今では計数も分からなくなっているが、浅草だけで二十万人以上が焼死しているだろうという。火傷をしただけで助かったある芸者の話では、あっちへ逃げろこっちへ逃げろで人がわっと一方に集まっては焼夷弾で片端からやられていったが、その芸者は少し鈍感なので水道の共同栓の下へ入り、水を出しっぱなしにしていたので不思議に助かった。騒いでいた人はみんな死んでしまった、自分が落ち着いていられたのも観音様のおかげだと思う、と語ったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
私の心霊術(長田幹彦・1955年(昭和30年))
『私の心霊術』は、長田幹彦が昭和三十年に著した心霊研究の随筆集である。死後に残る霊や地獄・極楽をめぐる考えを述べ、熊本の家系や安達謙蔵との交わり、東京放送局の文芸顧問だったころの回想、霊友会など戦後の新興宗教への批判、前著『霊界』への反響と自らの信仰を語る。「心霊科学の来世観」「霊界の構造」「ぼくの信仰」などの章からなり、末章「ある霊媒の生態」では霊媒服部との実験とそのトリックの顛末を描く。