年を越えて七十二枚が降った北大出村
どんな伝承か
いまの辰野町にあたる地域では、南端の北大出村から北の平出村や雨沢村まで、札の降らなかった村はないといわれるほど降札が多かった。なかでも北大出村では、慶応三年十月二十七日から翌年一月二十三日までのあいだに四十八件、七十二枚の札が降ったと数えられている。いちばん多いのは伊勢皇太神宮の十八枚で、秋葉山が十二枚、金毘羅・津島・水天宮がそれぞれ四枚と続き、降った時期は十一月と十二月に集中していた。信濃のお札降りが年を越えて続いた例としても挙げられている。
原典より
北大出村では、十月二十七日から一月二十三日までのあいだに四八件、七二枚が降った。—— 長野県史 通史編 第6巻(長野県史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
長野県史 通史編 第6巻(長野県史)
『長野県史 通史編 第6巻』のうち、第七章第五節「木曽騒動とお札降り」の二「お札降り」の項を収める抜き書きで、冒頭は佐久地方の村方騒動と軽井沢宿の打ちこわしを述べる段の途中から始まる。慶応三年七月に三河で始まったお札降り・ええじゃないかが伊那谷と中山道を経て信濃に広がり、下伊那・上伊那・高遠・諏訪・木曽・松本平・北信の村や宿場で降札と祝祭が起きたさまを、村の記録や日記からたどる。最後に世直りへの期待と維新との関わりをまとめる。