弾丸よけと徴兵よけの狸神・楠神社
どんな伝承か
三好郡白地村の吉野川渡船場の東岸、中西に一本の巨大な樟があり、その下方の岩窟に劫を経た古狸が住んでいた。この狸に物を供えて願をかけると必ず望みが叶い病気も治るというので信仰する者が増え、まだ維新にならない以前に樟の根元へ小さな祠が建てられた。その後参詣人はさらに増して壮大な本殿と拝殿が建ち、楠神社という社名も定まった。日清戦争の頃、この守を身につけていれば鉄砲の弾丸に当たらないと言い出され、出征軍人が競って受けに来た。日露戦争ではさらに盛況となり、戦後は徴兵忌避の利益があるとして参詣が絶えなかった。のち神社合併で村社一宮神社の境内へ併合され、樟は伐り倒されて狸神の信仰も頓挫したという。
原典より
三好郡白地村の吉野川渡船場の東岸中西村に、一本の巨大な樟があつた。—— 阿波の狸の話(笠井) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
阿波の狸の話(笠井)
『阿波の狸の話』は、脇町の笠井という著者が、阿波国の各地に伝わる狸の話を集めて書いた本である。狸同士の化かし合い、狸使い、狸憑き、狸医者、狸を祀る祠などを題ごとに分け、郡村名や人名を挙げて、明治・大正の狸憑きの実話やお六つ大明神の信仰の様子も記す。後半に余材追録と、著者が萬福寺で狸に憑かれる人や住職と問答した記録を置き、巻末の「阿波名狸録」で名のある狸を徳島市と各郡の部に分けて並べる。