浅草原の刑場で斬られたきりしたん
どんな伝承か
江戸時代の初め、キリスト教の禁制のもとで多くの信徒が処刑された。浅草原の刑場は今の台東区鳥越にあり、承応年間まで続いたのち浅草今戸橋の南へ、さらに小塚原へ移された。『年々世間聞書』の寛永十五年極月三日の記事は、きりしたんの妻子ら十四人が首を斬られ、続いて五十人が火あぶりとなり、今度は水漬けの刑にされたと記す。『慶長見聞集』は、改宗した者は助け、改宗しない者は諸国で死罪とし、数百人に及んだと伝え、江戸では二十余人が浅草原で斬首されたという。著者はこれを『仁勢物語』の段の背景とする。
原典より
浅草原の刑場(現在の台東区鳥越)は、承応年間まで存続し、のちに浅草今戸橋南に移され、更には小塚原に移された。—— 日本の幽霊たち ― 怨念の系譜(阿部正路) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の幽霊たち ― 怨念の系譜(阿部正路)
『日本の幽霊たち――怨念の系譜』は、阿部正路が書きおろした日本文学の幽霊論で、刊行は日貿出版社が手がけた。『竹取物語』『源氏物語』『平家物語』などの物語、『日本霊異記』から『遠野物語』『聴耳草紙』に至る説話、能と歌舞伎、さらに三遊亭円朝・泉鏡花・森鴎外・小泉八雲らの近代の作品に現れる幽霊をたどり、怨念の系譜として読み解く。第一章で幽霊の時・季節・姿・場・目的を論じ、終章で稲生屋敷の物怪や百鬼夜行など幽霊の周辺に及ぶ。