相模川河口の薬問屋に降った皇太神宮札
どんな伝承か
大住郡馬入村の「石垣記録」を書いたとみられる、相模川河口の薬問屋杉山の家に、十一月二十日、皇太神宮の札が降った。役所から質素に祀るよう沙汰があったため、翌日は酒一樽を三町の行事に渡すにとどめたが、一方で村中へ赤飯を重箱一つずつ配り、子どもには蜜柑を一俵与え、ふだん出入りする者を残らず集めて日待をした。記録はさらに、当時方々の国で札が降り、宿や村では裸参りが行われ、大師が乗り移ったという娘まで現れ、前代未聞のことで伊勢参宮の人も多かったと記している。十二月中旬には大磯宿の金毘羅や八幡宮、大山不動尊への裸参りも流行したという。
原典より
平塚では、関係史料に大住郡馬入村「石垣記録」があるが、この記録者と思われる相模川河口で薬問屋をしていた杉山氏の家に、十一月二十日に皇太神宮のお札が降った。—— ええじゃないか(高木俊輔) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔)
『ええじゃないか』は、幕末維新期の民衆運動を研究してきた高木俊輔が、慶応三年から翌年にかけて広がった「お札降り」と「ええじゃないか」の乱舞を各地の史料からたどった歴史書である。三河吉田での初出から東海道、甲斐、江戸、信濃、伊勢、京都、大坂、中国、淡路、四国まで、日記や記録に残る降札と踊りを国ごとに述べる。概観と東国・西国の四章に続く終章で降札の作為者やおかげ参り、世直しとの関わりを論じ、参考文献を付す。