生野銀山町の重立ち十軒に降ったお祓
どんな伝承か
但馬の生野銀山町では、年が明けた一月三日、地役人・町年寄・山師・郷宿など町の主だった十軒にお祓が、地役人の一軒には銀札が降り、夜中から明け方まで踊りが続いた。大工の徳三郎の家などは群衆に踊り込まれて被害を受けた。代官所はお祓を差し出させ踊りを厳しく禁じたが、十四日に代官所が薩摩藩兵に接収され、年貢半減の布告が出たあとの十七日には、新政を祝うため氏神と山神の臨時祭礼が命じられ、町に米五十石が下げ渡されて三日三晩の祭りとなった。その最中にも山師の家に皇太神宮と七福神の札が降り、祝宴が開かれたという。
原典より
但馬地方では、朝来郡生野銀山町に一月三日、地役人・町年寄・山師・郷宿など町の重立ち一○軒にお祓が、地役人一軒に銀札が降り、夜中から未明までの踊りとなった。—— ええじゃないか(高木俊輔) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔)
『ええじゃないか』は、幕末維新期の民衆運動を研究してきた高木俊輔が、慶応三年から翌年にかけて広がった「お札降り」と「ええじゃないか」の乱舞を各地の史料からたどった歴史書である。三河吉田での初出から東海道、甲斐、江戸、信濃、伊勢、京都、大坂、中国、淡路、四国まで、日記や記録に残る降札と踊りを国ごとに述べる。概観と東国・西国の四章に続く終章で降札の作為者やおかげ参り、世直しとの関わりを論じ、参考文献を付す。