鉦や三味線で練り歩いた玉造稲荷の砂持ち
どんな伝承か
砂持ちとは、社寺への寄進にともなって、町ごとに揃いの身なりをし、鉦や太鼓を鳴らして練り歩くものである。その古い例として、天明九年(寛政元年)、大坂の玉造稲荷に大勢の人が群がり、鉦や太鼓、三味線をかき鳴らしながら練り歩き、揃いの提灯を掲げて夜更けまで町々を歩き回ったという。著者は、こうした伝統が幕末にふたたび砂持ちの騒ぎを引き起こし、ええじゃないかの前史の一つになったとみている。
原典より
古くは天明九年(寛政元年・一七八九)、大坂の玉造稲荷に大勢が群集し、鉦・太鼓・三味線などをかき鳴らして練り歩き、揃いの提灯で深夜まで町々を徘徊したという。—— ええじゃないか(高木俊輔) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔)
『ええじゃないか』は、幕末維新期の民衆運動を研究してきた高木俊輔が、慶応三年から翌年にかけて広がった「お札降り」と「ええじゃないか」の乱舞を各地の史料からたどった歴史書である。三河吉田での初出から東海道、甲斐、江戸、信濃、伊勢、京都、大坂、中国、淡路、四国まで、日記や記録に残る降札と踊りを国ごとに述べる。概観と東国・西国の四章に続く終章で降札の作為者やおかげ参り、世直しとの関わりを論じ、参考文献を付す。