満碁江翁の人狐物語と迷信打破
どんな伝承か
出雲国神門郡、今日の簸川郡の中野村に住んだ山根与右ヱ門源保祐、号を満碁江翁という老人が、天明六年十一月一日に「人狐物語」を著した。翁は「狐持ち始りの事」で、出雲の狐持ちの始まりは享保の初め頃、富家が小作を潰して恨まれ、その家の病人を狐憑きと称して災いをしかけたことにあると述べる。また狐持ちの名を得る家は慾深く憐まず施さず、富を鼻にかけて人を侮る者が多いと説いた。さらに「室狐の風説無実の事」では、狐が人家に住むというのは全くの虚談だと断じ、その名を得た者も心を改めて貧しきを恵み賤しきを憐めば、自然にその名は消滅すると論じている。
原典より
予、世の中の虚実を探る事六十余年、就中、宝暦年中狐付という者盛なれば、其実否難計源を尋ね末を察して考うるに、狐の人家に住居すといふ事一向虚談なること決定せり。—— 憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)(速水保孝・1953年(昭和28年)初版・1956年(昭和31年)新版) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)(速水保孝・1953年(昭和28年)初版・1956年(昭和31年)新版)
『憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)』は、速水保孝が昭和二十八年に著し、昭和三十一年に書き加えて新版とした研究書である。出雲・隠岐を中心とする山陰の狐持ちなど、家筋に結びつけられた憑きもの迷信を、法務局が扱った人権事件、藩の触書や村の古文書、加茂町の世帯調査から集めている。狐持ちの家に生まれた著者の体験から説き起こし、江戸中期以降の新興地主への反感に起こりを求める。柳田国男が序を寄せている。