狐付きを牢に入れよと命じた松江藩
どんな伝承か
享保頃に始まった狐持ちの迷信は、いよいよはびこっていった。山根与右衛門の『人狐物語』によれば、宝暦の末頃、松江城下近辺で狐つきが盛んになり、難渋する者が多いということが上つ方の耳に入り、行者に『その狐を祈り殺せ、また狐つきの者は入牢させよ』と仰せられたという噂がもっぱらであった。明和の頃から次第に減じたものの、詮索はかえって以前の十倍となり、一旦その名を得た家はもちろん、かすかに縁を引いた家まで相手が少なく他へ嫁ぐこともできず、尼法師となったり、四国巡礼と称して他国へ出る者もあったという。
原典より
抑、宝暦の末方、城下近辺狐付盛んにして、難澁を受し族多きよし、上つ方へ聞え、…—— つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1953年(昭和28年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1953年(昭和28年))
『つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて』は、速水保孝が昭和二十八年に著し、柏林書房から刊行した憑きもの筋の研究書である。島根の狐持ちの家に生まれた著者が自らの体験を語り、破談や絶交など迷信が今も残す実例、蛇持ち・犬神・外道・とうびょうなど十一種の類別、人狐物語や松江藩の御触書、隠岐の訴状などの文献を取りあげる。後半では近世中期以後の新興地主と村八分から迷信の発生を説き、柳田國男と恒松安夫の序を付す。