御手洗港の月待の夜を走る火の車
どんな伝承か
以前、著者は一一七一年に八丈島へ流れ着いた鬼の一団を、火を噴く武器を持っていたことから宇宙人ではないかと書いた。ところが外務省を退職した読者から、古代ギリシャにすでに火焔放射器があったと教えられ、自分でも調べて確かめ、その推測を取り下げる。そのうえで他の鬼の話まで否定はしないとし、知切光歳『鬼の研究』の一話を引く。宝暦年間、大崎下島の御手洗港で月待の夜のこと。空は晴れ渡り、宵のうちから良い場所を取った人々が酒を酌み交わしていた。東の空が明るみ、観音岬の沖の海が銀色に光りだしたころ、どこからか車輪の響きが近づき、燃え盛る火の車が東から西へ、はじめはゆるやかに、近づくにつれて矢のような速さになって目の前を駆け抜けた。それを曳く青鬼と赤鬼の荒々しい姿を見た一同は震え上がったという。著者は、何百人もが目撃したはずの出来事だとみている。
原典より
と、ゴロゴロ・ゴロゴロと、どこともなく車輪の音が近づいてきて、響きが段々高くなるにつれて、月見の連中も月の出のことを忘れて、いっせいにその音の方に視線を転じた。—— 黄昏綺譚(高橋克彦・幽霊・怪異体験・1996年(平成8年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
黄昏綺譚(高橋克彦・幽霊・怪異体験・1996年(平成8年))
『黄昏綺譚』は、高橋克彦が連載をまとめ、一九九六年七月付のあとがきを付したエッセイ集で、吉田光彦の挿絵と組んだ画文集である。著者が体験し見聞きした分身や生霊、寺での怪異、前世、UFOなどの不思議と、史料や神話に残る怪異、宮澤賢治をゴッホの生まれ変わりとみる考えを語る。「この世に幽霊はいる」「不思議な話が史料や神話に」「宮澤賢治はゴッホの生まれ変わり!!!」の三部に分かれ、巻末にあとがきと丸尾末広の解説「黄昏るペン」を収める。