座敷牢の傍で推量節を歌った二稲荷
どんな伝承か
明治二十六年(一八九三)、出口なおが綾部で座敷牢に閉じ込められていたときのこと。夜の十一時ごろと思われる刻限に、二十歳ほどの若い声が二人、牢のすぐそばで「推量、推量」と、はやり歌の推量節を口ずさんでいるのが聞こえた。翌朝になって、その二人は高倉稲荷と鬼獄稲荷であり、推量節を唐土や天竺へ広めに出かけるところだったと分かり、なおは喜んだという。なおは後年の『おふでさき』にこの夜のことを記し、「今度の推量節は綾部の出口の屋敷から流行る」という替え歌も残している。
原典より
出口が座敷牢に這入りて居る折、夜の十一時と思う時分に、二十歳ぐらいな声で二人が牢の傍で、推量々々と謳うて居る声が致した事がありたが、…—— 幻視する近代空間 ―迷信・病気・座敷牢、あるいは歴史の記憶(川村邦光・1989年(平成元年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
幻視する近代空間 ―迷信・病気・座敷牢、あるいは歴史の記憶(川村邦光・1989年(平成元年))
『幻視する近代空間 ―迷信・病気・座敷牢、あるいは歴史の記憶』は、川村邦光が近代日本の民衆の心性をたどった論考で、あとがきは一九八九年十二月の日付である。明治の「血税一揆」の流言、トラホームと〈迷信〉、狐憑きと精神医学、「脳病」「神経病」、座敷牢と精神病者監護法、芦原将軍の誇大妄想と出口なおの神がかり、祖先教と靖国による霊魂の管理を、新聞記事や民話、医学書、調査報告から読み解く。はじめにの後に三部と終章を置き、あとがきで結ぶ。