売られて船で運ばれていった御殿
どんな伝承か
浜口熊嶽は気合術を自分一代で終えるつもりで、側近が宗教団体を作ろうとした案も立ち消えになった。外へ金をばらまいても蓄えには無頓着だったため、彼の死後に残ったのは城のような御殿ばかりで、現金はほとんどなかった。兵役で父の最期に立ち会えなかった息子の稔は、日本大学を出て帰郷したが、戦後の貧しい漁村に職はなく、固定資産税と暮らしに追われた。やがて宇治山田駅前の旅館宇仁館が御殿を買い取り、旅館として建て直すことになった。春のある日、解体されて船で宇治へ運ばれていく父の城を、稔は長島港で人知れず涙をぬぐいながら見送ったという。
原典より
船で宇治へと運ばれてゆく解体されたお城を、長島港にみおくりながら稔は、人しれず涙をふきながら立ちつくした。—— 霊術家の饗宴(井村宏次・井村宏次・霊術研究・1983年(昭和58年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
霊術家の饗宴(井村宏次・井村宏次・霊術研究・1983年(昭和58年))
『霊術家の饗宴』は、井村宏次が一九八三年に著した近代日本の霊術家の歴史である。明治から昭和初めにかけて、気合術・催眠術・霊子術などで民衆の病や苦しみを救おうとした霊術家たちの運動を、当時の新聞記事や刊行物、関係者の家族への取材をもとにたどる。プロローグと六章、エピローグからなり、浜口熊嶽、桑原天然、福来友吉と千里眼事件、太霊道の田中守平を章ごとに取りあげ、霊術ブームと取締法による衰退までを描く。