幸福寺跡の小庵に集った茶子婆
どんな伝承か
末東の居屋山の中腹に十坪ほどの平らな場所があり、幸福寺の跡とされて小さな庵が建っていた。明治の初めごろまでは、茶を酌み交わしながら世間話を楽しむ「茶子婆」と呼ばれる老女たちがここに集まり、仏をまつりつつ話に興じていたという。ただ寺の跡としては狭すぎるとも見られ、ある人は、幸福寺はもともと北浦の墓地のあたりにあった安楽寺より古い寺で、末東もその檀家だったと語る。末村の古名は曽石村で曽石山のふもとに曽石寺があったとする記録もあり、幸福寺はその曽石寺の境外仏をまつったものかと推し量られている。
原典より
末東の居屋山(いや)の中腹に10坪(33㎡²)ほどの平地があり、幸福寺跡とされて小庵があり、明治初年までは茶子婆(茶を汲み交し世間話を楽しむ老婆)さんが集って仏さんを祭り、…—— 兵庫県民俗調査報告8――伝説(兵庫県(編)・兵庫県民俗調査報告) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
兵庫県民俗調査報告8――伝説(兵庫県(編)・兵庫県民俗調査報告)
『兵庫県民俗調査報告8――伝説』は、兵庫県の民俗調査報告の一冊のうち、第10章「口頭伝承」を収めたものである。三田市の乙原・小野・尼寺・青野・末の各地区を対象に、集落の発祥や神社、廃寺、城跡にまつわる伝説、天狗に導かれたという松住大権現、狐狸の怪、狼の話などを、聞き書きと『門野氏郷土物語』などの郷土の記録から記す。伝説のあとに昔話とわらべ歌を続け、わらべ歌は地元の中学校生徒会の協力で集めた尻とり歌や羽根つき歌を載せる。