馬を身上柱と呼ぶウマヤの神
どんな伝承か
馬は身上柱と呼ばれ、家族と同じように大事にされた。正月の三が日には、馬にも生のままの餅を食べさせた。ウマヤは台所の中に設けられており、ウマヤマツリと呼ばれる者がお札を配りに回ってきた。足袋に草鞋をはき、羽織を着て現れ、祝詞をあげてウマヤを祓ってくれるので、受けたお札はウマヤの柱に貼り、米とお金を渡した。また那珂町の酒出には駒形神社があり、四月十七日の祭りには馬を引いて参って無事を祈り、お札を受けて帰った。馬渡では、ウマヤの前にカマジメを張り、小さな松の枝を供えたと覚えている人がいる。
原典より
馬は身上柱と呼んで、家族同様に大切にしていた。—— 勝田市史 民俗編――小祠の信仰と流行神(勝田市(編)・勝田市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
勝田市史 民俗編――小祠の信仰と流行神(勝田市(編)・勝田市史)
『勝田市史 民俗編――小祠の信仰と流行神』は、勝田市の市史の民俗編のうち、「信仰生活」の部の一部である。鎮守祭礼の移り変わりに続いて、屋敷神や同姓の家々で祀るウジガミと系図祭り、カマド神やエビス・大黒などの屋内の神々、病気や安産の祈願を集める小祠を、市域のムラでの調査と聞き取りによって記す。後半では流行神として上高場の六地蔵、腹切り佐七、塚信仰、東石川大島の無縁様を取り上げ、その由来と信仰の広がりをたどる。