大石を守るため仏を刻んだ仏石
どんな伝承か
奈良市の南椿尾町から高樋町へくだる山道の中ほどに大石があり、二十数体の仏像がきざまれている。豊臣秀吉が大阪城を築くとき、各地から大石を集めさせた。里人たちはこの石を運ばれては大変だと、石仏を刻んだのだという。また一説には、ここを通りかかった僧侶が、この石が仏に見えたので仏像を刻んだのだともいわれている。同じ由来を語る石は阪原町の下出橋のほとりにもあり、こちらは阿弥陀如来像が刻まれ、眼病をなおす仏として信仰を集めている。
原典より
南椿尾町から高樋町にくだる山道の中ほどにある大石に、二十数躰の仏像がきざまれている。—— 奈良市史 民俗編――伝説(奈良市(編)・奈良市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
奈良市史 民俗編――伝説(奈良市(編)・奈良市史)
『奈良市史 民俗編――伝説』は、自治体史『奈良市史』民俗編のうち、第十一章「伝説」と巻末の「民俗資料」の冒頭を収めたものである。昭和三十七年から三か年にわたり市内各町の自治会長や古老、社寺を訪ねて集めた伝説に文献の伝えを加え、春日大社・東大寺・興福寺などの社寺や、吉備真備・俊寛・中将姫らゆかりの人物にまつわる話を収める。木・石・塚・水・山・森・社寺・人物・動植物・町名の十節に分け、一話ごとに題を立てて記す。