簾を跳び越えた名馬磨墨と駒寄の石橋
どんな伝承か
大桁山は昔は牧場で、源頼朝に献じられた名馬磨墨はここで生まれ育ったと伝わる。故郷を慕った磨墨はある時鎌倉を抜け出し、丹生へ向かった。人々は馬を捕えようと駒寄の橋に簾を張って待ち構えたが、磨墨はひと跳びで越えて逃げ去った。この場所は駒寄、簾の上と名付けられ、上丹生と下丹生の境にあたる。跳んだとき石橋に蹄の跡が残ったという。磨墨はその後、北の高田村千福寺で倒れて死に、土地の人は憐れんで磨墨神社を建てて祀った。また駒寄の石橋の下をくぐると麻疹が軽く済むと言われ、満一歳の子がよくくぐらされたという。
原典より
ここで源頼朝に献上された名馬、磨墨が生まれ育った。—— 富岡市史 民俗編――昔話・伝説・世間話(富岡市(編)・富岡市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
富岡市史 民俗編――昔話・伝説・世間話(富岡市(編)・富岡市史)
『富岡市史 民俗編――昔話・伝説・世間話』は、富岡市が編んだ市史の民俗編のうち、民俗知識の章の末尾と口頭伝承の章を収めたものである。口頭伝承の章は、昭和四十年代以降の中学校郷土部の採話や額部地区の民俗調査、市史編さんの調査で聞き取った昔話・伝説・世間話と、富岡・甘楽方言の解説から成る。伝説は自然的・社会的・信仰的の三つに分け、羊太夫や小野小町、貫前神社にまつわる話と多くの地名起源を載せる。