丹生城主の妻子が果てた自害久保
どんな伝承か
丹生城跡から西へ二キロほど離れた字千足の最も奥に、自害久保と呼ばれる場所がある。丹生城主の金乗は高田小次郎の軍勢にひと月も兵糧攻めにされ、もはや勝ち目がないと見て妻子を大桁山へ逃がしたうえで総攻撃をかけ、討ち死にした。戦いの結末を知った金乗の妻は自ら胸に短刀を突き立てて果て、子どもや女官たちもあとを追って次々に自害したという。その地は真っ赤な血の池になったと伝えられ、自害久保の名で呼ばれている。
原典より
丹生城跡から西に約二キロ離れたところ字千足の一番奥にある。—— 富岡市史 民俗編――昔話・伝説・世間話(富岡市(編)・富岡市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
富岡市史 民俗編――昔話・伝説・世間話(富岡市(編)・富岡市史)
『富岡市史 民俗編――昔話・伝説・世間話』は、富岡市が編んだ市史の民俗編のうち、民俗知識の章の末尾と口頭伝承の章を収めたものである。口頭伝承の章は、昭和四十年代以降の中学校郷土部の採話や額部地区の民俗調査、市史編さんの調査で聞き取った昔話・伝説・世間話と、富岡・甘楽方言の解説から成る。伝説は自然的・社会的・信仰的の三つに分け、羊太夫や小野小町、貫前神社にまつわる話と多くの地名起源を載せる。