寺山の地名と改姓のいわれ
どんな伝承か
万田の高みにある一角は寺山と呼ばれ、かつて寺山セイザブロウという豪族が住んでいたと言い伝えられる。徳川家康が駿河の寺山という所で戦に敗れ、寺に逃げ込んでようやく命拾いしたため、寺山という名は見るのも聞くのも嫌だと言った。そこで寺山の一族は姓を改めたといういわれがある。セイザブロウが治めた地には、今は小さくなったものの社があり、昔は鳥居も立ち山車も出て、盛大に祭りが行われた。もとはオオジンサンと呼ばれ、相武国造神社と記されており、今も出縄一族の守り神として祭りが続いている。
原典より
寺山セイザブロウという豪族がここに住んでいた。—— 平塚市史民俗調査報告書5(旭)――口頭伝承(平塚市(編)・平塚市史民俗調査報告書) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
平塚市史民俗調査報告書5(旭)――口頭伝承(平塚市(編)・平塚市史民俗調査報告書)
『平塚市史民俗調査報告書5(旭)――口頭伝承』は、平塚市の旭地区の民俗調査報告書のうち、第八章「口頭伝承」を収めたものである。下山下・万田・公所・山下などで聞いた昔話十五話、狐に化かされた話や狐憑き・ムジナ・神隠し・幽霊・塚のたたりなどの世間話四十一話、曽我伝説の虎御前や社寺のいわれなどの伝説十一話を収める。昔話は『日本昔話集成』『日本昔話名彙』に照らした分類表を掲げ、各話に地区名や話者名を添え、末尾にことわざといいまわしを載せる。