丹敷戸畔が吐いた毒気
どんな伝承か
神武東征の途上、兄の五瀬尊を矢傷で失い、さらに二人の兄も嵐の海に身を投じて、帝は肉親をすべて失ったまま紀伊半島を回って熊野へ向かった。軍は名草邑で名草戸畔を、丹敷浦で丹敷の女首長である丹敷戸畔を討ち従えた。ところが丹敷戸畔を殺したとき、神が毒気を吐き、兵たちはみなぐったりとして軍は奮い立てなくなったと『日本書紀』は記す。この窮地は、熊野の高倉下が夢のお告げを受けて献じた一振りの剣によって救われる。著者は、毒気とは山中特有の濃い霧だとする現代の解釈もあると添えている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の妖怪(早川純夫・早川純夫・妖怪史・1973年(昭和48年))
『日本の妖怪』は、早川純夫が一九七三年(昭和四十八年)に著した妖怪史の読み物である。『出雲風土記』『日本書紀』から『日本霊異記』『今昔物語』、江戸の『新著聞集』などの随筆までの古典に記された妖異を、かかわりのある実在の人物や事件とともに古代から近世へ時代順にたどる。全八章で、引用は意訳を交えて『』でくくり、仏教談や霊験談、地方の民話はおおむね除き、第七章には江戸の見聞録から選んだ二十話を並べる。