跡地を畑にして続いた沖の海難
どんな伝承か
御嶽神社は以前もっと山の上にあったが、参拝に不便なため現在の位置に降ろされ、最初の神社の跡地は畑となっていた。その昔、江差からの帰りの舟が親川の沖で遭難することが度々あった。あるとき、親川の肝煎の四代目佐藤幸右衛門にお告げがあり、御嶽神社の跡地を畑にして下肥などをかけているのは宜しくない、ということであった。そこで最初の神社のあった跡地を一坪譲り受けて祠を建てたところ、それからは海難事故がなくなったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
本荘市史 文化・民俗編
『本荘市史 文化・民俗編』は、本荘市の市史のうち文化と民俗を扱う巻で、ここに見えるのは第八章口承文芸の伝説の節である。竜馬山の主の足止め、虚空蔵山の手長・足長、死人沢の由来、弘法清水、大人の足跡、かれい沼、人柱になった娘、御嶽神社や馬頭観音、家の先祖の話を、話者の方言の語りのまま載せる。伝説を木・水・沢・台・丘・塚・石・神社・地蔵・観音・家・餅などに分けて整理し、一部の話には場所の様子を書き添える。